水本爽涼 歳時記

日本の四季をベースにした小説、脚本、エッセイetc.の小部屋です 

2025-12-24から1日間の記事一覧

微かにクリスマスソングが聞こえる [5]

井郷千一郎は田所進の斜め向かいの病室ベッドで酸素マスクを装着し、眠っていた。井郷に身寄りはなかった。幸い病状は回復の兆しを見せ、医師は「峠は越しました…」と女性介護士の新谷へ静かに告げた。井郷はウトウトと浅い眠りの中で夢を見ていた。そんな井…

微かにクリスマスソングが聞こえる [4]

三塚浩次は工事現場にいた。「おい、終わりだっ!」 現場監督が浩次の後方から声をかけた。浩次は手に持つ重機のドリルを置いた。ヘルメットを脱ぐと、ザラッとした砂塵の感触がした。浩次は解放されたように首をぐるりと回した。それまでの凛と張りつめた緊…

微かにクリスマスソングが聞こえる [3]

田所進は病室のベッドで眠っていた。ここ数日、午後の時間帯は睡魔に襲われることが多かった。消灯後、看護師達に怒られながら読み続けた本のせいに違いなかった。ふと目覚めると、窓際の病床から街灯りがチラホラ見えた。外はもう夕闇が迫っていた。どこか…

微かにクリスマスソングが聞こえる [2]

二浪の尾山博は家賃が三万八千円の安アパートでカップ麺を啜っていた。予備校の学費は、半ば本業として働くメンテナンス会社のパートの稼ぎだった。カップ麺を啜り終わったとき、外はもうすっかり暗かった。片隅に置かれた目覚ましを見ると、すでに六時半ば…

微かにクリスマスソングが聞こえる [1]

忘れ去られた公園に朽ちかけたベンチがあった。瀬山里沙は、その冷え切ったベンチへ腰を下ろした。凍てつくほどではなかったが、外気の冷えは手先を悴(かじか)ませた。どこからか、微(かす)かにクリスマスソングが聞こえた。里沙は、ダッフルコートのポ…

坪倉家前の駅ホーム -12(最終回)-

やはり、街並み風景が違っていた。というか、すべてが一変していた。坪倉は、とりあえず家の外へ出て、表戸を閉めた。そして、一歩前へ歩を進めようとした。しかし、足は動かず、停止したまま、その場に凍りついた。高台の住宅地に建つ坪倉家の前は、一昨日…

坪倉家前の駅ホーム -11-

あああ…坪倉は呻(うめ)きともつかない声をあげていた。頭がどうかなりそうだった。━ よし! ひとまず眠ろう…。俺は疲れているんだ…すべては幻影だ…すべてが… ━ 坪倉は深い眠りへと落ちていった。 いつの間にか夜になっていた。薄闇がベッド前の窓ガラスに…

坪倉家前の駅ホーム -10-

「俺、少し寝るよ。疲れてるみたいだ。起こさないでくれ」 坪倉は少しトーンを下げていった。「分かった…」 美郷は察したのか、ひと言だけポツリと返した。それ以上、夫婦の会話はなかった。坪倉は階段を上ると二階の寝室へ直行し、寝室横にあるクローゼット…

坪倉家前の駅ホーム - 9-

『尾振(おぶり)~、尾振でございます』 ブシュ! とドアが開き、坪倉が駅ホームへ降り立つと、いつもの街並みが見えた。やれやれ、元に戻(もど)ったんだ・・と坪倉は少し安心した。ところが、改札を抜けると、ホームから見えたいつもの街並みは消え失(…

坪倉家前の駅ホーム -8-

病院を出ると会社へは戻らず、坪倉は帰宅することした。駅構内に入り改札を抜けてホームに立った。そこで坪倉はふたたび、我が目を疑った。ほん今まであった・・いや、病院を出て・・本社前に戻り・・で、駅へ入ったのだ。それが、ほん今だった。営林開発ビ…

坪倉家前の駅ホーム -7-

坪倉のかかりつけの白髪(しらが)総合病院は尾振(おぶり)の駅から徒歩で5分ばかりのところにあった。だが坪倉は、そんなに近い病院ですら、現実に自分の目で見てみなければ安心できない疑心暗鬼(ぎしんあんき)に陥(おちい)っていた。家、会社と二度…

坪倉家前の駅ホーム -6-

「このビル、いつ建ったんだっけ?」 早朝会議が始まる前、坪倉は底村に突然、訊(たず)ねた。「えっ?! 急になんです、課長。まだ建って、五年ですよ」 底村は呆(あき)れたように言った。「ああ、そうだった、そうだった。最近、物忘れが激しくていかん…

坪倉家前の駅ホーム -5-

営林開発(株)は新規産業で370名ばかりの本社社員を擁(よう)し、新種のキノコ販売を中心とした会社である。坪倉は130名の研究開発課長で、その部下の底村は開発係長である。会社の始業時間は8:30からだった。 幾つかの駅を経(へ)て、列車は定…

坪倉家前の駅ホーム -4-

「いつも思うんですが、この鉄道、面白い名前の駅が多いですね、課長」 突然、なにを思ったのか、右横の底村がクスクス…と含み笑いをした。「ああ…」 坪倉としてはどうでもいいことで、面白くもなんともない。いや、それよりも、駅の前にあった今日の我が家…

坪倉家前の駅ホーム -3-

「課長、来ました!」 前の景色を見ながらぼんやりと坪倉が考えていたとき、いつもの六両編成の列車がホームへ流れるように入ってきた。列車が停車し、プシュ! と音がして自動ドアが開くと二人は乗り込んだ。このパターンはいつもと変わりなく、坪倉は少し…

坪倉家前の駅ホーム -2-

「ああ、別に…」「駅の中の出店ですか?」「えっ?! ああ、まあ…」 これ以上、訊(き)いては拙(まず)い…と坪倉は思い、適当に暈(ぼか)した。「そういや、最近、出店が変わりましたよね。あそこの日替わり弁当、美味(うま)いんで好きです」「そうだな…

坪倉家前の駅ホーム -1-

「行ってくるよ!」 玄関で声をかけたが妻の美郷(みさと)の返答は小さく、「は~い」である。ただ、それだけである。20年も前は、こんなじゃなかった…と鬱憤(うっぷん)を募(つの)らせながら坪倉満は家を出た。そして、ガラッ! っと表戸を開けて驚い…