砂場の説明によれば、楮 (こうぞ)栽培による和紙が上戸村で初めて製造されるようになり、製造された和紙が骨太(ほねぶと)神社に奉納されたのが、骨太神社と上戸村の特性和紙を関連づける最初の出来事だったという。岩口は、砂場に説明され、神と紙が[カミ]繋がりでお互いを共有したんだな…と感じた。封建時代当時の社会は三竦(さんすく)みの関係は紙が強かったのである。医学[鋏]はそれほど発達していなかったことで、神[紙]は切られる心配も小さく強くなれた…というのが岩口の見解である。
梅雨が近づいていた。時折り、ジメジメした湿気を伴う雨の日が増え始めていた。気象庁は、梅雨に入ったとみられる・・という報道を流し、入っていなくても大丈夫な逃げ道を今年も作っていた。自信をもって入った!! と言いましょう。^^
骨太神社では例年の虫干しが梅雨の晴れ間の日を見計らって行われた。氏子役員達が神社の掃除や衣類の虫干しをする行事である。そのあとは、料理に鮭の慰労会が社務所で行われた。氏子総代の切川も慣れてきたのか、戸惑うことなく行事を進行させるようになっていた。
氏子総代の切川が虫干しの合間を縫って岩口家を訪れた。
「宮司、慰労会は?」
「はあ、今年は二時から式年祭の直会(なおらい)がありますので…」
「ああ、そうでしたか。慰労会は一時からですので、一応、顔出しだけでもして頂ければ…」
「はあ、分かりました。ではご挨拶だけさせて頂いて、失礼させて頂きます」
「それで結構でございます。で、どちらの?」
「父の久郎(くろう)の二十年祭でございます」
「そうでございましたか…」
「ええ、早いもので…」
神道では、亡くなった人の霊璽(れいじ)は仏教の仏壇である祖霊舎へ移して合祀(ごうし)するシステムになっているらしい。^^
続